2013年04月12日
第6回 掛川市、三熊野神社大祭へ
先日、4月5、6、7日に行われた掛川市の三熊野神社大祭を見に行って来た。いや、旧大須賀町の横須賀、と言った方がわかりやすいかもしれない。そう、秋10月には城下町の町並みをギャラリーにした「ちっちゃな文化展」が開かれることで知られるところだ。
毎年4月の第1金・土・日曜に行われるこの祭りは、金曜日が揃(そろい)、土曜日が宵宮(よいみや)、日曜日が本楽(ほんらく)という構成になっている。一番にぎやかな日曜日は残念ながら都合がつかず、今回は土曜の宵宮だけ行かせてもらった。
この日は全国的に嵐が吹き荒れると前日からさかんに注意報が出されていたので、祭り自体が執り行われるのか不安を抱えつつ出掛けた。が、雨は降り出したものの、風は強くならずに祭りは無事始まった。
三熊野神社大祭は三社祭礼囃子という江戸の囃子の伝統をまもるお囃子と、祢里(ねり)と呼ばれる一本柱の山車を曳き回すことで知られる有名な祭りだ。
一度見てみたいと思いつつ機会を失っていたところ、遠州常民文化談話会という磐田市に拠点を置く遠州地方の民俗や歴史を研究する会の方に誘われて実現した。
誘ってくださったのは県庁にお勤めの山内薫明さん。森町在住で、じつは森町のお祭りで笛を吹くお囃子方なのだ。山内さんも日曜日は行けないとのことだったが、それは天宮神社の十二段舞楽という伝統行事と、町並みと蔵展があるからで、遠州人はほんとうに祭り三昧の暮らしなのだとうらやましく思う。
午前中はまだ雨が降っていなかったが、すでに祢里にはビニールシートが
かけられていた。雨が降ってからでは間に合わないからだろう。
残念ながらシートに隠れてしまったが、この中でお囃子とひょっとこ面の舞が続けられる
祢里のあとを必ずこの集団がついて歩く。リヤカーに積まれたのはビールなどのお酒。
祢里の曳き手にときどき飲ませてあげたりする
そして横須賀で私たちを迎えてくださったのは、遠州常民文化談話会の代表をしていらっしゃる名倉慎一郎さんご夫妻。磐田郡の竜洋町にお住まいだが、ここにも掛塚屋台囃子という有名な祭りがある。
また、横須賀の古い町並みに暮らし、祭りの研究をしていらっしゃる田中興平さんという遠州常民文化談話会のメンバーのお一人が、町家風の風情がすばらしい古民家のご自宅でもてなしてくださった。街道筋には葵天下という酒蔵もあり、お言葉に甘えて、しこたま飲んでしまった。ちょっと反省。
遠州常民文化談話会メンバーで祭り研究家の田中興平さんのお宅も古く、
京都の町家をもっと広く明るくした感じだ。2階の窓と格子がなんともいえない情緒をかもす
さて宵宮の見どころ、奉納式は全13町の祢里が三熊野神社の境内に集結し、拝殿前の舞屋で当番の組が、正調江戸囃子の名残をとどめる三社祭礼囃子を奉納する。いわば祭りの幕開けのような儀式だ。
今年の当番町は河原町か組。舞屋にはお囃子衆だけでなく各組総代たちが並び、あいさつに立つのだが、そのたびに「よっ、〇〇ちゃん!」「おー、頑張れよっ!」と観衆から声がかかる。はにかんで上がり気味の人もいれば、任せとけと言わんばかりに観衆を見渡す人もいて楽しい。
祭りはいい年をした大人も子供に帰る時だ。でも、大人が無邪気に楽しむから子供たちも楽しくてしょうがない。そうやって三度の飯より祭りが好きな〝お祭り小僧〟が育っていくのだろう。
三社祭礼囃子は笛、太鼓、鉦の囃子方に合わせて、ひょっとこ、おかめの面をつけた舞人がエネルギッシュに舞う。子供たちが務めるので、観衆の中のお母さんたちは気が気ではない。私の後ろにいた女性は順番が来るまで舞台上に座って待つ我が子を見守りながら「長く正座を続けることなんてないから、うまく立ち上がれるかなあ」とつぶやいていた。
それにしても、ひょっとこ面たちはとても子供とは思えないほど巧みに舞っていた。そこまで仕込んだ先輩たちも見事だ。
拝殿前に建てられた舞屋の上で、今年当番の組が代表で三社祭礼囃子を奉納する。
舞台上で総代たちも見守る
ところで旧大須賀町は「ちっちゃな文化展」もあって客のもてなし方を心得ているのだろう。祭りの間、掛川駅の新幹線口と市役所大須賀支所との間を2時間おきに走らせる無料のシャトルバスがとても便利だ。
場所が不便なだけに車でしか行けないと最初は思ったが、駐車場の心配をするのが面倒なのと、祭りなのに一杯飲めないのが残念で迷っていたところ、山内さんに教わり、シャトルバスで同行させてもらった。
宵宮の奉納式は午前10時からなので9時半掛川駅発のバスに乗った。帰りは大須賀支所前を14時半、16時半発あたりのバスに乗ろうと予定できるのでありがたい。
三熊野神社にほど近い、町並みのほぼ中央に「八百甚」という古い旅館がある。ここが祭りや「ちっちゃな文化展」などの人寄せのときに、酒肴で人をもてなす場所になるのもうってつけだ。それは歴史を感じさせる古い建物で、玄関に足を踏み入れられるだけでありがたい感じがする。
老舗旅館「八百甚」。この貫禄には圧倒される。玄関正面の広い階段を上った二階が大広間に
なっていて、秋の「ちっちゃな文化展」のときも関係者の飲み会会場となる。
今回の祭りでは、酒肴をはさんで関係者が名刺交換などをする社交場となっていた
遠州横須賀は、遠州地方でもっとも地理的に不便なところだ。東海道から小笠山で隔てられた海沿いにある、孤立した町とも思える場所だ。
だからこそ伝統文化が長く守り育てられてきたのかもしれない。世の中の流れに器用に乗っかるのが得意な人もいれば、苦手な人もいる。不器用なら不器用なりに世の流れに逆らって意地を張り続ける人がいてこその文化なのではないだろうか。なぜ自分たちは意地を張り続けるのか、なぜ古いものを守り続けるのかと考えるから意識が生まれるし、誇りが育つ。
世の流れに器用に乗っかっていける人はあまり考える必要がないから、知らぬ間に思いもしない方向へ進んでいることもある。〝器用貧乏〟とはそういうことかもしれないと、あらためて昔の人の知恵の深さを思い知った。
さて柳田国男や民俗学に興味のある方には、ぜひ「遠州常民文化談話会」を知っていただきたい。地味ながら、メンバー一人一人が古い文化に興味津々なのが長続きしている秘訣ではないだろうか。
北遠は全国でも古い民俗が残された貴重な地帯だと言われるが、その中の水窪町にメンバーの方々が何度も聞き取り調査に入り、このほど『水窪の民俗』という本を出版した。新聞で紹介されると問い合わせが相次ぎ、結局刷り増しして注文に対応したという。
一度、ネットで検索してみてほしい。
毎年4月の第1金・土・日曜に行われるこの祭りは、金曜日が揃(そろい)、土曜日が宵宮(よいみや)、日曜日が本楽(ほんらく)という構成になっている。一番にぎやかな日曜日は残念ながら都合がつかず、今回は土曜の宵宮だけ行かせてもらった。
この日は全国的に嵐が吹き荒れると前日からさかんに注意報が出されていたので、祭り自体が執り行われるのか不安を抱えつつ出掛けた。が、雨は降り出したものの、風は強くならずに祭りは無事始まった。
三熊野神社大祭は三社祭礼囃子という江戸の囃子の伝統をまもるお囃子と、祢里(ねり)と呼ばれる一本柱の山車を曳き回すことで知られる有名な祭りだ。
一度見てみたいと思いつつ機会を失っていたところ、遠州常民文化談話会という磐田市に拠点を置く遠州地方の民俗や歴史を研究する会の方に誘われて実現した。
誘ってくださったのは県庁にお勤めの山内薫明さん。森町在住で、じつは森町のお祭りで笛を吹くお囃子方なのだ。山内さんも日曜日は行けないとのことだったが、それは天宮神社の十二段舞楽という伝統行事と、町並みと蔵展があるからで、遠州人はほんとうに祭り三昧の暮らしなのだとうらやましく思う。
午前中はまだ雨が降っていなかったが、すでに祢里にはビニールシートが
かけられていた。雨が降ってからでは間に合わないからだろう。
残念ながらシートに隠れてしまったが、この中でお囃子とひょっとこ面の舞が続けられる
祢里のあとを必ずこの集団がついて歩く。リヤカーに積まれたのはビールなどのお酒。
祢里の曳き手にときどき飲ませてあげたりする
そして横須賀で私たちを迎えてくださったのは、遠州常民文化談話会の代表をしていらっしゃる名倉慎一郎さんご夫妻。磐田郡の竜洋町にお住まいだが、ここにも掛塚屋台囃子という有名な祭りがある。
また、横須賀の古い町並みに暮らし、祭りの研究をしていらっしゃる田中興平さんという遠州常民文化談話会のメンバーのお一人が、町家風の風情がすばらしい古民家のご自宅でもてなしてくださった。街道筋には葵天下という酒蔵もあり、お言葉に甘えて、しこたま飲んでしまった。ちょっと反省。
遠州常民文化談話会メンバーで祭り研究家の田中興平さんのお宅も古く、
京都の町家をもっと広く明るくした感じだ。2階の窓と格子がなんともいえない情緒をかもす
さて宵宮の見どころ、奉納式は全13町の祢里が三熊野神社の境内に集結し、拝殿前の舞屋で当番の組が、正調江戸囃子の名残をとどめる三社祭礼囃子を奉納する。いわば祭りの幕開けのような儀式だ。
今年の当番町は河原町か組。舞屋にはお囃子衆だけでなく各組総代たちが並び、あいさつに立つのだが、そのたびに「よっ、〇〇ちゃん!」「おー、頑張れよっ!」と観衆から声がかかる。はにかんで上がり気味の人もいれば、任せとけと言わんばかりに観衆を見渡す人もいて楽しい。
祭りはいい年をした大人も子供に帰る時だ。でも、大人が無邪気に楽しむから子供たちも楽しくてしょうがない。そうやって三度の飯より祭りが好きな〝お祭り小僧〟が育っていくのだろう。
三社祭礼囃子は笛、太鼓、鉦の囃子方に合わせて、ひょっとこ、おかめの面をつけた舞人がエネルギッシュに舞う。子供たちが務めるので、観衆の中のお母さんたちは気が気ではない。私の後ろにいた女性は順番が来るまで舞台上に座って待つ我が子を見守りながら「長く正座を続けることなんてないから、うまく立ち上がれるかなあ」とつぶやいていた。
それにしても、ひょっとこ面たちはとても子供とは思えないほど巧みに舞っていた。そこまで仕込んだ先輩たちも見事だ。
拝殿前に建てられた舞屋の上で、今年当番の組が代表で三社祭礼囃子を奉納する。
舞台上で総代たちも見守る
ところで旧大須賀町は「ちっちゃな文化展」もあって客のもてなし方を心得ているのだろう。祭りの間、掛川駅の新幹線口と市役所大須賀支所との間を2時間おきに走らせる無料のシャトルバスがとても便利だ。
場所が不便なだけに車でしか行けないと最初は思ったが、駐車場の心配をするのが面倒なのと、祭りなのに一杯飲めないのが残念で迷っていたところ、山内さんに教わり、シャトルバスで同行させてもらった。
宵宮の奉納式は午前10時からなので9時半掛川駅発のバスに乗った。帰りは大須賀支所前を14時半、16時半発あたりのバスに乗ろうと予定できるのでありがたい。
三熊野神社にほど近い、町並みのほぼ中央に「八百甚」という古い旅館がある。ここが祭りや「ちっちゃな文化展」などの人寄せのときに、酒肴で人をもてなす場所になるのもうってつけだ。それは歴史を感じさせる古い建物で、玄関に足を踏み入れられるだけでありがたい感じがする。
老舗旅館「八百甚」。この貫禄には圧倒される。玄関正面の広い階段を上った二階が大広間に
なっていて、秋の「ちっちゃな文化展」のときも関係者の飲み会会場となる。
今回の祭りでは、酒肴をはさんで関係者が名刺交換などをする社交場となっていた
遠州横須賀は、遠州地方でもっとも地理的に不便なところだ。東海道から小笠山で隔てられた海沿いにある、孤立した町とも思える場所だ。
だからこそ伝統文化が長く守り育てられてきたのかもしれない。世の中の流れに器用に乗っかるのが得意な人もいれば、苦手な人もいる。不器用なら不器用なりに世の流れに逆らって意地を張り続ける人がいてこその文化なのではないだろうか。なぜ自分たちは意地を張り続けるのか、なぜ古いものを守り続けるのかと考えるから意識が生まれるし、誇りが育つ。
世の流れに器用に乗っかっていける人はあまり考える必要がないから、知らぬ間に思いもしない方向へ進んでいることもある。〝器用貧乏〟とはそういうことかもしれないと、あらためて昔の人の知恵の深さを思い知った。
さて柳田国男や民俗学に興味のある方には、ぜひ「遠州常民文化談話会」を知っていただきたい。地味ながら、メンバー一人一人が古い文化に興味津々なのが長続きしている秘訣ではないだろうか。
北遠は全国でも古い民俗が残された貴重な地帯だと言われるが、その中の水窪町にメンバーの方々が何度も聞き取り調査に入り、このほど『水窪の民俗』という本を出版した。新聞で紹介されると問い合わせが相次ぎ、結局刷り増しして注文に対応したという。
一度、ネットで検索してみてほしい。
Posted by eしずおかコラム at 12:00