2012年10月15日
第3回 アメリカ、ネバダ・ユタ・アリゾナ・ニューメキシコの旅
なんと2ヵ月以上もご無沙汰してしまった。ブログを書く人間にあるまじき怠慢さをまずお詫び申し上げておきたい。
かつ今回のブログは「たまらん」編集余話とするにはちと看板に偽りありなのだ。
8月にアメリカ旅行をした体験を次の「たまらん」に書くにあたって、その余話をブログに――と、出発前は思っていたのだが、帰国後、想定外の繁忙期に突入してしまい、次の7号目を11月11日の創刊1周年号まで見送ることにした。無謀に創刊してからのこの1年、発行周期がまちまちといういい加減さだったが、6号発行してほぼ隔月刊と数え、どうかお許しいただきたい。
もう2ヵ月も前に出発したアメリカ旅について書くのだが、じつは帰国後すぐに静岡地酒研究会を主宰する鈴木真弓さんが、「杯の乾くまで」というブログに、それはそれは詳細なルポを10回以上も連載していて正直、私の出る幕はない。
同行した私までへぇ~と思うほど、訪問先の基礎知識や歴史的背景をきっちり調べながらの丹念な記録。旅行中も、一眼レフとコンパクトカメラ双方で撮影した画像を毎日PCに整理してストックするというプロ仕事を横目で見ながら、ビールばっかり飲んでいる私はアリとキリギリスだなぁと思っていたが、その差が歴然と表れてしまった。
というわけで、アメリカ中西部のネバダ・ユタ・アリゾナ・ニューメキシコ各州の旅について知りたい方は、ぜひ鈴木真弓さんのブログをご覧いただきたい。
http://mayumi-s-jizake.blogzine.jp/
私が鈴木真弓さんの実妹、香織・ドナヒューさんを訪ねてアリゾナを旅することになったのは、アメリカで看護師をしている香織さんの医療現場での体験を真弓さんから聞くうちに、ぜひご本人から聞いてみたい、できることなら現地で聞きたい・・・などと言っているうちに、じゃあ一緒に行こうということになったからで、いわゆる酒の席での勢いだった。
持病がある私は医療について個人的に興味があるので、「たまらん」で地域医療をテーマに取り上げてもいいかもしれないとは思いつつ、あまりに唐突で、具体的な構想もないまま出発することに。しかし、香織さんがアリゾナ州というナバホ族の居留地に暮らしていると聞き、じつはインディアンの文化に触れたいという気持ちも強くあった。
グランドキャニオンの北側の壁ノースリムからサウスリムを見る。
細く流れるのはコロラド川
香織さんの計らいで、ラスベガス、グランドキャニオン、モニュメントバレー、アンテロープキャニオン、サンタフェなどという有名な観光地を巡ることができたのだが、最後のニューメキシコ州サンタフェで久しぶりに普通の山の姿を見たと思うほど、ネバダもユタもアリゾナも延々、地面が隆起したままのピークがない平らな岩山の連続だった。
高度の低い地帯は木も生えず赤い岩肌がムキ出し。高度が上がるにつれ気温が下がるのでマダラに緑の低木が生え始め、高度が高い地帯には松林が形成される。平地は赤い砂で覆われ多肉植物ほか水分が少なくても生きられる植物が地を這うのみ。川も池もない。生まれて初めて砂漠地帯とはどういうものかを実感した。
しかし、とにかくデカイのだ。西部劇の舞台となったモニュメントバレーでは、遙かかなたの岩山が地平線すれすれに見えるまで何もない真っ平らな地面が続くだけ。古い西部劇で、遠くにぽつんと見えた小さな砂煙が次第に大きくなり盗賊の来襲とわかるシーンを見たことがあるが、今もその通りなのだ。岩山の中腹から見下ろすと、細い筋となって延びる道も車も、すぐに地面の中に吸い込まれるように消えてしまう。
ショーン夫妻が暮らすフォートディファイアンスの岩山。
長年の雨露にさらされて丸く削られた造形が美しい。アリゾナはどこもこんな風景が続く
ここモニュメントバレーで撮影した「荒野の決闘」の最後に、ヘンリー・フォンダが砂漠の真ん中で「また近くを通ったら立ち寄ってくれ」と別れの言葉を口にするのだか、それがどれほど途方もないことなのかが判った。
西部劇の舞台になったモニュメントバレー。グールディング夫妻が自宅を撮影場所に
提供したというグールディングロッジから広大な西部の荒野を見渡す
日本のアウトドアは森林と渓流を楽しむ旅がほとんどである。もちろん自然景観も動植物もそのままに残されていて、その純粋さに心洗われる。しかし、アメリカの大自然を目の前にして、日本の自然は人間によって美しく保たれてきた風景なのだと気付いた。アメリカの大自然は太古のままなのだ。美しいかどうかなんて問題ではない。人間が挑んでも挑んでもかすり傷にもならないほどの圧倒的な存在がそこにある。
フロンティアスピリッツを開拓者精神と覚え、西部開拓史の代名詞と考えてきたが、そんなに単純なものではないようだ。未知の大陸に初めて渡ったヨーロッパ人は、神が創造した偉大なる景観にどれほど驚いたことか。あらゆるものを征服をしてきた人々が初めて征服できないものに出会い、それでも挑戦したいと考えた、それがフロンティアスピリッツなのかもしれない。
他方、日本の自然は人の手が入っていることにこそ魅力がある。田んぼや畑という農地も日本らしい自然景観なのだ。グランドキャニオンのダイナミックさを満喫しているアメリカ人は、よく手入れされた日本の森林や田畑を見て別の驚きを得るのではないか。
アウトドアといえばグレートネイチャーだと一辺倒に考えず、どの国にも、それぞれの歴史が刻んできた必然的な自然景観があり、お互いに別の美しさと価値を提供し合えばいい。日本人の勤勉さと丁寧さが田んぼの畦道すらもきれいに整える美しい田園風景を、ぜひ世界の人に見せたいと感じた。
アリゾナ州はナバホ・ネーションというナバホ族の自治区である。インディアンの中でももっとも広範囲の居住地だが、そのほとんどが砂漠地帯なのだ。なぜナバホ族はこうした不利な環境を選んだのか不思議でならない。
どこをどう見ても農地は見あたらない。水がないのだから当然だ。農業ができないということは経済的基盤がないということでもある。高地では牧草が生えるので肉牛を育てる牧場も見られたが、それは小遣い稼ぎ程度で主産業ではない。工場誘致は環境破壊になると拒否しているらしい。
フォートディファイアンスの山間に入るとこんな静かな牧場の佇まいも。
高度がある地帯は牧草も樹木も育つ。が、農業はできない
先祖が守った地であるという誇りが彼らを支えている。が、先祖の暮らしを成り立たせていた狩猟はもうできない。就業率が60%というナバホ族の主たる産業は観光と工芸品・アートの販売である。だからアクセサリーや籠製品、陶器などといった工芸品は日本円でいうとほとんどが1万円以上、織物やアートは10万円以上、100万円以上のものも多い。手作りの価値を思えば当然のことと、少しでもナバホ族の人たちが直接売っている店で買う努力はしたが、その値段ではなかなか庶民は手が出ない。あくまで金持ち相手の商売だ。
誇り高く生きることと、主産業が少ないために低所得者層が増え肥満に悩むという現実の狭間で生きるナバホ族の人々を見ていると、静岡で口にしている「お金はなくても豊かに生きる方法はある」という言葉がむなしく感じられた。
先祖の誇りを保ちながら、心静かに、心豊かに生きる方法は何か。答えは出ないが、次回はそんなことに触れながらアメリカ暮らしを考えてみたいと思う。
ジェイコブレイクからグランドキャニオンノースリムまでトレッキングに車で出掛ける。
途中は林の連続なのだが、半分近くが真っ黒に焦げた立木の林。雷や高温・乾燥で
自然発火したであろう山火事の痕だそうだ。アメリカは何もかもやることが大きい!
かつ今回のブログは「たまらん」編集余話とするにはちと看板に偽りありなのだ。
8月にアメリカ旅行をした体験を次の「たまらん」に書くにあたって、その余話をブログに――と、出発前は思っていたのだが、帰国後、想定外の繁忙期に突入してしまい、次の7号目を11月11日の創刊1周年号まで見送ることにした。無謀に創刊してからのこの1年、発行周期がまちまちといういい加減さだったが、6号発行してほぼ隔月刊と数え、どうかお許しいただきたい。
もう2ヵ月も前に出発したアメリカ旅について書くのだが、じつは帰国後すぐに静岡地酒研究会を主宰する鈴木真弓さんが、「杯の乾くまで」というブログに、それはそれは詳細なルポを10回以上も連載していて正直、私の出る幕はない。
同行した私までへぇ~と思うほど、訪問先の基礎知識や歴史的背景をきっちり調べながらの丹念な記録。旅行中も、一眼レフとコンパクトカメラ双方で撮影した画像を毎日PCに整理してストックするというプロ仕事を横目で見ながら、ビールばっかり飲んでいる私はアリとキリギリスだなぁと思っていたが、その差が歴然と表れてしまった。
というわけで、アメリカ中西部のネバダ・ユタ・アリゾナ・ニューメキシコ各州の旅について知りたい方は、ぜひ鈴木真弓さんのブログをご覧いただきたい。
http://mayumi-s-jizake.blogzine.jp/
私が鈴木真弓さんの実妹、香織・ドナヒューさんを訪ねてアリゾナを旅することになったのは、アメリカで看護師をしている香織さんの医療現場での体験を真弓さんから聞くうちに、ぜひご本人から聞いてみたい、できることなら現地で聞きたい・・・などと言っているうちに、じゃあ一緒に行こうということになったからで、いわゆる酒の席での勢いだった。
持病がある私は医療について個人的に興味があるので、「たまらん」で地域医療をテーマに取り上げてもいいかもしれないとは思いつつ、あまりに唐突で、具体的な構想もないまま出発することに。しかし、香織さんがアリゾナ州というナバホ族の居留地に暮らしていると聞き、じつはインディアンの文化に触れたいという気持ちも強くあった。
グランドキャニオンの北側の壁ノースリムからサウスリムを見る。
細く流れるのはコロラド川
香織さんの計らいで、ラスベガス、グランドキャニオン、モニュメントバレー、アンテロープキャニオン、サンタフェなどという有名な観光地を巡ることができたのだが、最後のニューメキシコ州サンタフェで久しぶりに普通の山の姿を見たと思うほど、ネバダもユタもアリゾナも延々、地面が隆起したままのピークがない平らな岩山の連続だった。
高度の低い地帯は木も生えず赤い岩肌がムキ出し。高度が上がるにつれ気温が下がるのでマダラに緑の低木が生え始め、高度が高い地帯には松林が形成される。平地は赤い砂で覆われ多肉植物ほか水分が少なくても生きられる植物が地を這うのみ。川も池もない。生まれて初めて砂漠地帯とはどういうものかを実感した。
しかし、とにかくデカイのだ。西部劇の舞台となったモニュメントバレーでは、遙かかなたの岩山が地平線すれすれに見えるまで何もない真っ平らな地面が続くだけ。古い西部劇で、遠くにぽつんと見えた小さな砂煙が次第に大きくなり盗賊の来襲とわかるシーンを見たことがあるが、今もその通りなのだ。岩山の中腹から見下ろすと、細い筋となって延びる道も車も、すぐに地面の中に吸い込まれるように消えてしまう。
ショーン夫妻が暮らすフォートディファイアンスの岩山。
長年の雨露にさらされて丸く削られた造形が美しい。アリゾナはどこもこんな風景が続く
ここモニュメントバレーで撮影した「荒野の決闘」の最後に、ヘンリー・フォンダが砂漠の真ん中で「また近くを通ったら立ち寄ってくれ」と別れの言葉を口にするのだか、それがどれほど途方もないことなのかが判った。
西部劇の舞台になったモニュメントバレー。グールディング夫妻が自宅を撮影場所に
提供したというグールディングロッジから広大な西部の荒野を見渡す
日本のアウトドアは森林と渓流を楽しむ旅がほとんどである。もちろん自然景観も動植物もそのままに残されていて、その純粋さに心洗われる。しかし、アメリカの大自然を目の前にして、日本の自然は人間によって美しく保たれてきた風景なのだと気付いた。アメリカの大自然は太古のままなのだ。美しいかどうかなんて問題ではない。人間が挑んでも挑んでもかすり傷にもならないほどの圧倒的な存在がそこにある。
フロンティアスピリッツを開拓者精神と覚え、西部開拓史の代名詞と考えてきたが、そんなに単純なものではないようだ。未知の大陸に初めて渡ったヨーロッパ人は、神が創造した偉大なる景観にどれほど驚いたことか。あらゆるものを征服をしてきた人々が初めて征服できないものに出会い、それでも挑戦したいと考えた、それがフロンティアスピリッツなのかもしれない。
他方、日本の自然は人の手が入っていることにこそ魅力がある。田んぼや畑という農地も日本らしい自然景観なのだ。グランドキャニオンのダイナミックさを満喫しているアメリカ人は、よく手入れされた日本の森林や田畑を見て別の驚きを得るのではないか。
アウトドアといえばグレートネイチャーだと一辺倒に考えず、どの国にも、それぞれの歴史が刻んできた必然的な自然景観があり、お互いに別の美しさと価値を提供し合えばいい。日本人の勤勉さと丁寧さが田んぼの畦道すらもきれいに整える美しい田園風景を、ぜひ世界の人に見せたいと感じた。
アリゾナ州はナバホ・ネーションというナバホ族の自治区である。インディアンの中でももっとも広範囲の居住地だが、そのほとんどが砂漠地帯なのだ。なぜナバホ族はこうした不利な環境を選んだのか不思議でならない。
どこをどう見ても農地は見あたらない。水がないのだから当然だ。農業ができないということは経済的基盤がないということでもある。高地では牧草が生えるので肉牛を育てる牧場も見られたが、それは小遣い稼ぎ程度で主産業ではない。工場誘致は環境破壊になると拒否しているらしい。
フォートディファイアンスの山間に入るとこんな静かな牧場の佇まいも。
高度がある地帯は牧草も樹木も育つ。が、農業はできない
先祖が守った地であるという誇りが彼らを支えている。が、先祖の暮らしを成り立たせていた狩猟はもうできない。就業率が60%というナバホ族の主たる産業は観光と工芸品・アートの販売である。だからアクセサリーや籠製品、陶器などといった工芸品は日本円でいうとほとんどが1万円以上、織物やアートは10万円以上、100万円以上のものも多い。手作りの価値を思えば当然のことと、少しでもナバホ族の人たちが直接売っている店で買う努力はしたが、その値段ではなかなか庶民は手が出ない。あくまで金持ち相手の商売だ。
誇り高く生きることと、主産業が少ないために低所得者層が増え肥満に悩むという現実の狭間で生きるナバホ族の人々を見ていると、静岡で口にしている「お金はなくても豊かに生きる方法はある」という言葉がむなしく感じられた。
先祖の誇りを保ちながら、心静かに、心豊かに生きる方法は何か。答えは出ないが、次回はそんなことに触れながらアメリカ暮らしを考えてみたいと思う。
ジェイコブレイクからグランドキャニオンノースリムまでトレッキングに車で出掛ける。
途中は林の連続なのだが、半分近くが真っ黒に焦げた立木の林。雷や高温・乾燥で
自然発火したであろう山火事の痕だそうだ。アメリカは何もかもやることが大きい!
Posted by eしずおかコラム at 12:00