2012年08月06日
第2回 町内の秩序を保つことが祭りを存続させるコツ
「たまらん」の最新号をようやくこの4日に出すことができた。7月末には出さなければならなかったのに、グズグズしているうちに暦は8月になってしまい面目ない。
今号はトップの記事で蕎麦の静岡在来種を探し復活させようとしている人たちのこと、里ネタでは8月14・15日のお盆に有東木の盆踊りが行われるワサビの里有東木を、街ネタでは8月11・12日に妙見さんの七夕夏まつりを行う井宮町を紹介した。
祭りのネタが二つ重なったが、夏休み中の8月に開かれる祭りで一般の市民も参加できるので、ぜひ一度足を運んでその雰囲気だけでも味わってほしいと特集した。が、私にとっては大きな収穫のある取材となった。そして有東木も井宮町も、祭りのことを詳しく紹介するよりも、それを支える人々のことを書くことに力が入ってしまった。
有東木の盆踊りは国指定の民俗文化財なので、さまざまな本に紹介され、毎年遠くから訪れる研究者や写真愛好家がいるような伝統芸能である。
東雲寺という集落の真ん中にある寺の庭に村人が集まり、男と女が交替で何演目も踊る。クライマックスには燈籠と呼ばれる大きな飾り物をかぶった男性を中心に踊るのだが、この燈籠、何を意味しているのだろうか、中世のお城のような形をしているのだ。鎌倉時代から続くといわれ、有東木が落人の里だとすれば、どこか武士のにおいがするような・・・。
同じ有東木では白髭神社に奉納される神楽も古式ゆかしく守られている。神楽は秋と春の2回、村人が一人何役もこなし神楽舞を舞ったり笛や太鼓を奏でたりする。
この二つの祭りはかつて100人以上いた青年団が取り仕切っていたが、今は若者が減り高齢化したことで芸能保存会が守っている。保存会会長の大石知男さんを訪ねた。
有東木の集落はかつて斜面を切り拓いてつくったことがよくわかる風景だ。意外と傾斜のある坂道を登っていくと、丁寧に積み上げられた石垣が段々をつくり、そこに家々が築かれている。その、石垣がある風景が整然としてじつに美しい。無造作に植えられているように見える庭木がまた、イングリッシュガーデンのような自然の造形になっている。風景を見ただけでそこに暮らす人々が丁寧に暮らしていることがわかる。
一番奥というのか上というのか、沖という組に大石さんのお宅がある。静かに、控えめに話す大石さんだが、盆踊りや神楽を誇り高く守っていることがよくわかる。保存会の中でも大石さんは師匠格で、人に教えることができる。御父上の慶作さんも師匠だったとか。
芸能の話をするうちに「その代わりここは組の約束事は厳しいからね。月に1回は必ず常会や役員会に出なきゃならないし、持ち回りで組長を務めさせられる。でも長になった人を必ずたてるんです」という大石さんの言葉で、古風な祭りが残っているのも、整然とした美しい風景も、村人の関係が秩序正しく保たれているためだと気付かされた。
次に井宮町の七夕夏まつりを準備している町内会の人々に会い、その思いはさらに確信となった。
町場の井宮は少し色合いが違うが、町内会を構成する人々の秩序が保たれていることは有東木と共通する。町内会の中に壮年会、子供会、婦人部、老人会といくつもの部会があり、祭りは神輿会が取り仕切る。
夏休みに入るといよいよ祭りの稽古が始まる。人々が集まるのは井宮町公会堂。公民館ではない。公会堂という名に町内会の意気を感じる。夜、静かな住宅街の真ん中で公会堂だけが煌々と灯りをともし、男も女も、大人も子供も上気している。大人がムキになると子供の心も高揚する。子供たちの表情が生き生きしていてうれしくなった。
土曜日、強制されることもなく毎週だれかれか出て来るという竹林伐採の作業に、夜の稽古にいた神輿会のメンバーもいる。祭実行委員長の鈴木元三さんが「井宮は三世代の家が多い。だから子供会で祭りを体験して、壮年会で体験してと、受け継がれていくんだよね」と説明してくれた。
そうか祭りも竹林伐採も、むかし小学校で同級生だった人たちがそのまま隠居世代になるまで一緒にいるから続くんだと気付いた。活動の趣旨や義務に縛られることなく「やりゃあいいじゃん」といった気楽さで、でも口には出さずとも心のどこかに「社会の役に立つことをしたい」という共通の思いを秘めて、今日も働いたら一杯飲む――と、暮らしを楽しんでいる。
井宮町の七夕夏まつり実行委員長 鈴木元三さん
トップで取材した蕎麦の話も、結局、秩序を重んじている山間地の村人にたどり着く。こちらの話題は今後も追っていくのでまた書かせてもらうが、こうしたムラ社会の意味をもう一度考え直さないといけない、そんな気持ちになった今号制作過程だった。
(eしずおか事務局よりお知らせ)
執筆者・平野さんの取材の都合により、コラムは不定期連載とさせていただきます。ご了承ください。次回の公開日が決まり次第、このコラム上でお伝えいたします。お楽しみに。
今号はトップの記事で蕎麦の静岡在来種を探し復活させようとしている人たちのこと、里ネタでは8月14・15日のお盆に有東木の盆踊りが行われるワサビの里有東木を、街ネタでは8月11・12日に妙見さんの七夕夏まつりを行う井宮町を紹介した。
祭りのネタが二つ重なったが、夏休み中の8月に開かれる祭りで一般の市民も参加できるので、ぜひ一度足を運んでその雰囲気だけでも味わってほしいと特集した。が、私にとっては大きな収穫のある取材となった。そして有東木も井宮町も、祭りのことを詳しく紹介するよりも、それを支える人々のことを書くことに力が入ってしまった。
有東木の盆踊りは国指定の民俗文化財なので、さまざまな本に紹介され、毎年遠くから訪れる研究者や写真愛好家がいるような伝統芸能である。
東雲寺という集落の真ん中にある寺の庭に村人が集まり、男と女が交替で何演目も踊る。クライマックスには燈籠と呼ばれる大きな飾り物をかぶった男性を中心に踊るのだが、この燈籠、何を意味しているのだろうか、中世のお城のような形をしているのだ。鎌倉時代から続くといわれ、有東木が落人の里だとすれば、どこか武士のにおいがするような・・・。
同じ有東木では白髭神社に奉納される神楽も古式ゆかしく守られている。神楽は秋と春の2回、村人が一人何役もこなし神楽舞を舞ったり笛や太鼓を奏でたりする。
この二つの祭りはかつて100人以上いた青年団が取り仕切っていたが、今は若者が減り高齢化したことで芸能保存会が守っている。保存会会長の大石知男さんを訪ねた。
有東木の集落はかつて斜面を切り拓いてつくったことがよくわかる風景だ。意外と傾斜のある坂道を登っていくと、丁寧に積み上げられた石垣が段々をつくり、そこに家々が築かれている。その、石垣がある風景が整然としてじつに美しい。無造作に植えられているように見える庭木がまた、イングリッシュガーデンのような自然の造形になっている。風景を見ただけでそこに暮らす人々が丁寧に暮らしていることがわかる。
一番奥というのか上というのか、沖という組に大石さんのお宅がある。静かに、控えめに話す大石さんだが、盆踊りや神楽を誇り高く守っていることがよくわかる。保存会の中でも大石さんは師匠格で、人に教えることができる。御父上の慶作さんも師匠だったとか。
芸能の話をするうちに「その代わりここは組の約束事は厳しいからね。月に1回は必ず常会や役員会に出なきゃならないし、持ち回りで組長を務めさせられる。でも長になった人を必ずたてるんです」という大石さんの言葉で、古風な祭りが残っているのも、整然とした美しい風景も、村人の関係が秩序正しく保たれているためだと気付かされた。
次に井宮町の七夕夏まつりを準備している町内会の人々に会い、その思いはさらに確信となった。
町場の井宮は少し色合いが違うが、町内会を構成する人々の秩序が保たれていることは有東木と共通する。町内会の中に壮年会、子供会、婦人部、老人会といくつもの部会があり、祭りは神輿会が取り仕切る。
夏休みに入るといよいよ祭りの稽古が始まる。人々が集まるのは井宮町公会堂。公民館ではない。公会堂という名に町内会の意気を感じる。夜、静かな住宅街の真ん中で公会堂だけが煌々と灯りをともし、男も女も、大人も子供も上気している。大人がムキになると子供の心も高揚する。子供たちの表情が生き生きしていてうれしくなった。
土曜日、強制されることもなく毎週だれかれか出て来るという竹林伐採の作業に、夜の稽古にいた神輿会のメンバーもいる。祭実行委員長の鈴木元三さんが「井宮は三世代の家が多い。だから子供会で祭りを体験して、壮年会で体験してと、受け継がれていくんだよね」と説明してくれた。
そうか祭りも竹林伐採も、むかし小学校で同級生だった人たちがそのまま隠居世代になるまで一緒にいるから続くんだと気付いた。活動の趣旨や義務に縛られることなく「やりゃあいいじゃん」といった気楽さで、でも口には出さずとも心のどこかに「社会の役に立つことをしたい」という共通の思いを秘めて、今日も働いたら一杯飲む――と、暮らしを楽しんでいる。
井宮町の七夕夏まつり実行委員長 鈴木元三さん
トップで取材した蕎麦の話も、結局、秩序を重んじている山間地の村人にたどり着く。こちらの話題は今後も追っていくのでまた書かせてもらうが、こうしたムラ社会の意味をもう一度考え直さないといけない、そんな気持ちになった今号制作過程だった。
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(eしずおか事務局よりお知らせ)
執筆者・平野さんの取材の都合により、コラムは不定期連載とさせていただきます。ご了承ください。次回の公開日が決まり次第、このコラム上でお伝えいたします。お楽しみに。
Posted by eしずおかコラム at 12:00